さらに気づき
前回の記事からさらに生い立ちまで遡っていくことができました。
私の両親は失敗したときに、
動いたから失敗した
何かあったら 最悪の状況じゃなくてよかった
と言ってくれる人でした。
昔からそそっかしいので、怪我はしょっちゅう、物を壊したり粗相をすることも
しょっちゅうでした。
例えば、お皿を割ったとき、
周りがわーーー、という中で
「お手伝いしたから割れたんだよ、何もしなければ割れもしない」
とみんなに言ってくれました。
その状況は今でもなんとなく覚えています。
たぶん母は忘れているだろうけど。
車をぶつけることもありました。
「怪我は?人じゃなくて良かった」と
まず言ってくれました。
甘やかされていたのかもしれませんが、
こうした両親の対応が今の私をつくっているのかもしれません。
だから起きてしまったことを責めるのではなく
これからどうしたらよいのか?
を一緒に考えたい。
やってみて失敗したなら、次に生かせばいい。
息子たちにも、私はいろいろやってみてほしい。
やってみて違うなら、また探せばいい。
本当に好きなことが見つかるまで。
好きなこと、あっていることなら頑張れるから。
心が壊れるぐらいなら、どんどん逃げてほしい。
どんどん枠を広げて
私たちの知らない世界でも挑戦して。
子供たちが人生を楽しんでいることが私の願い。
そういう価値観なのかもしれない。
幼いころの環境って本当に根深い。
カードリーディングをしてくれる千鶴子さんに
今まで大きな波なかったね、さざ波のような穏やかな愛情の両親だね。
と言われたことがありました。
私はその時はあーそうかもなぁ。
と思いましたが
今回、またさらに両親の対応を思い出し、
感謝が溢れました。
でも、これは私の1つの価値観。
どれがよくて、どれが悪いとかではなく、1つの考え方。
こどもを思う気持ちはどの親も一緒。
愛情表現が違うだけ。
こどもは親の私たちの価値観で生きるのではなく
自分の価値観で選択していってほしい。
違っていたら戻っておいで
そんな風に言える親の器でありたいな。
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