じっくり付き合うからこそ得られるもの
最近じっくり人と話す機会を
いただいています。
仕事として、コンサルモニターさんを
募集したこともあるけれど、
Bloomという場所を得たことも大きい。
このじっくり話す。
その内容は様々だけど、
自分の事を話す、
自分の話を聴く、
夢を語る、
想いを聴く、
そんな時間がとても有意義で幸せな時間だとつくづく感じています。
昔、ママ友との会話が
人のうわさ
子供の話
旦那の話
そればかりだったことに違和感があって、
そこから抜けるかのように
仕事始めたことを思い出します。
その時の私にはその選択したなかった。
この世界が普通で、これがあたりまえ。
こんなもん。
他の子と比べて、焦り、不安になる
子供は可愛いし、友達と遊んでいるのも楽しい。遊ぶお金ぐらい自分で稼がなきゃ、好きな事やらせてもらってるから、頑張らなきゃ。家族を不機嫌にさせないように…。
遊ぶって言っても友達とランチぐらいなのに、です。
そんな思考だった事を思い出します。
本当に狭い世界で、当たり前の世界。
何かやりたい、とかも考えもしなかった。
子供のいない時間にパートにでることが普通。
夜ご飯は手作りで、塾やクラブの送迎は絶対条件。
自分の当たり前やこだわりって、
本当に気づかない。
今の私から見たら、
なんでそんなに自分で枠決めてるの?
なんでそこにこだわるの?って
思うけど、
その時の私は疑問にも思わなかった。
自分の中の、良い妻、良い母
だけど、そこを私は本当の本当は望んでいなかったから、自分ばかりが…自分だけが…なんで自分が…そんな不満や反発も生まれていたんだなぁ、と今なら思います。家族も望んでいなかっただろうし、私にとっての良い妻、良い母が必ずしも家族にとってあてはまるとは限らない。
自分がしたいからする、
ならよかったのだけれど…。
自分の本当の気持ちややりたい事に蓋をして(蓋をしている事にも気づいてなかったけど)
争いがないように、自分がやればいい、
自分がやった方が面倒くさくない。
そんな風に思っていると
やってあげたのに…
文句ばかり言われる
こんなにやったのに
結果や人の批判、評価に振り回される。
これって、自分が自分を認めてなかったから、自分の気持ちじゃないところで動いていたから。
知らずに、気づかずに自分を後回しにして、やってあげたよ、的な。
こんな私すごいでしょ、褒めて褒めて
みたいな。
だけど、自己犠牲の上に成り立つものは、お節介や重荷でしかなくて、特に家族は気づいているんだろうなぁ。
その違和感や感情を具現化できたら
楽なんだけど、
褒めるどころか、
反発や怒り、否定として
でてきてしまう。
その真っ只中は気づかない
今、いろんな経験を経て、たくさんの人と出会い、深い話しをするようになって、ようやくわかってきた。
本当の自分をごまかさず曝け出して、そんな自分を自分が認めているから、すごく楽で楽しい。
隠せば隠すほど、蓋をすればするほど、ごまかして、いい子でいれば、争いは起きずに楽だけど、その先に得るものが違う。
登山みたいに、その過程を体験したからこそ味わう世界と、車で行って展望台からみる世界。
同じ景色かもしれないけど、味わう感覚が違う。
それは体感しないとわからない世界。
そしてどちらを求めるかも自分で決めればいい。
どちらがいい、悪いではなく 自分が求めている方を自分で決める。
そこに〇〇のせい、〇〇が言ったから
などと、入るとこんがらがる。
こじらせ女子
私は体感を求め、その楽しさを知ったから、どうしてもそちらの道をみんなにも勧めがちで、その結果も急ぎがち。
それはお節介でしかなくて、そもそも自分を知らない人もたくさんいるのに、いらんお世話ですよねー。
ようやく、ジャッジしないフラットな自分を感じる瞬間も増えてきました。
ここからが、私の本領発揮!
だから、新しいメニューも思いつくし、ワクワクが加速しています。
私がやりたいし、私がホント楽しい!
たくさんの人を傷つけたり、振り回したり、嫌な思いもさせたと思います。
それは本当に反省です。ごめんなさい。
その未熟な私がいたから、今があり、これからがある。
だから、申し訳ない気持ちと同時に感謝もあります。
それはこれからの私で還元していく。
そんな気持ちなんです。
この世の中はその繰り返しだなぁ、と。
まだまだ未熟な私ですが、
その時の私ができることを私サイズで。
皆さんもこんな対話をしませんか?
人と話さないと自分の当たり前やこだわりに気付きませんよ。
あっというまに10年20年経ちます。
私もそうです。
何か違和感、モヤモヤを感じたなら、うまくいかないなら、もう一つ突っ込んで感じてほしい。
そんな方の伴走をする準備をしています。
一人と二人ってぜんぜん違うよ。
またお知らせしますね。
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